小さな問題をなめてはいけない

いまだに続いているのだろうか、小学校の不思議。先生は気軽に言うけれど、子どもにとっては悩みまくる問題のあれこれ。
例えば『運動会の日はランドセルでもいいし、手さげでもいいよ』ってやつ。いや、わかる、はいはい。どっちでもいいんですよね。今となってはどっちでもいい。でも、子どもにとって重要な問題。あした学校で私だけがランドセルだったらどうしよう。これ、重大事件ですよ。またある時は『晴れたら遠足、雨だったら授業』っていわれて小雨の日の時。ランドセルもリュックも両方なの?でも、両方持っていったらみっともないじゃない!そう、小学生には悩みは尽きないもんです。

私、自意識過剰な子ども時代を過ごしてきたので、こういう小さな問題に心を痛めて生きてきました。私の母(現在70代)が、まあテキトーな人だったので本当につらい子ども時代を送ってきたのです。後に文句を言っても、「子どものくせに気にすることないよ」などと人権無視の発言もしばしばでした。昔の子育てってどこのウチもこんなもんだったのかなぁ。でも、人前で恥ずかしい思いをしたことって、今でも鮮明に思い出してしまう。そして恨み続ける私。うーらーめーしーやー。

だから私は心に決めていたのです。子どもの言うことを絶対に馬鹿にしたり、軽く受け流したりする大人にはなるまい、と。ささいな事でも、子どもにとっては大変な事件であるのだから、きちんと考えてアドバイスしてあげなくちゃ。そんなことを自分自身が小学生の頃からずっと思い続けてきたのです。そう、私は子どもの心に寄り添える大人になるんだ、と。

そして月日は流れ、私も母親になりました。で、22歳の娘に言われる。「お母さんてさぁ、すごく悩みに答えるの、適当だったよね。結構困ったことや恥ずかしかったことがあったんだよね」と長女が言うと、19歳の次女も「そうそう。本当に恥ずかしかったよね」と。えーーーーーっ!衝撃的!嘘でしょ⁉︎このワタクシが、いったい何をしでかしたと言うの⁉︎

どうやら次女の夏休み。学校のプールに行くにあたって、先生は水着は家で着てきても着てこなくてもいい、と言ったらしい。そこで娘は悩んだ結果、「家で水着を着て行きたい」と言い出した。ところが、当時の私、このように答えたみたい。「この暑いのに水着なんか着て行ったら熱中症になるよ。水着なんか着ていく子なんて誰もいないよ」と断言した模様。次女、泣く泣く水着を着ずに行ったら、友達はみーーーんな着ていたとのこと。娘は着替えるのに手間取って、友達を待たせてしまったという。「お母さんはどう言うつもりだか知らないけど、決めつけるからさぁ、けっこう迷惑したよね」「本当だねえ。強めに言うから本当かな、って信じてたけど、意外と違ってたよね」「あははは」。マジか。他にも似たようなエピソードが、長女からも次女からも次から次へと出てきて驚きましたね。私、全然子どもの気持ちに寄り添える大人じゃなかった‼︎

そういえば、ハイコーキのCCOにタレントのヒロミさんが就任しましたね。CCOって聞き慣れないのでググってみると、『最高顧客責任者』とありました。それでもよくわからないので、さらにググってみると『顧客満足度に対して責任を負う役員』だそうです。要するにハイコーキの工具を使ってみたい、使い続けたいと思わせるためにどうしようか、って戦力を練る人かしら。だとしたら、ヒロミっていいじゃないの!なんだかワクワクしますよね。

ヒロミさんって、私が若い時には不良っぽいお笑い芸人でちょっと苦手だったけど、復活してからは不良っぽさが若々しさに見えて、とても素敵ですよね。DIYに対しても定評あるし。しかもヒロミさんの魅力って好奇心高めで、子どもみたいな雰囲気があるところ。きっとこの人だったら決めつけたり、押し付けたりせず、しなやかに対応してくれそう。いろんな人の意見も「へえ〜、なるほどね」と聞いてくれそうですし。そしてハイコーキの製品をさらにカッコ良くしてくれるんじゃないだろうか。期待大。

私もね、しなやかで柔軟な大人になりたかったな、と思います。そもそも、そんな器もなかったな、と今は理解してます。それに娘たちには「ガラじゃない」と言われました。そうか、自分に無いものを求めてしまったのか。ずっと思い続けてきたのに、なかなか人ってガラにもないことはできないものですね。でも、本当はひそかに決めてることがあるんです。これからの目標。これからは若い人の言うことをきちんと聞く中年になろう、ってこと。子ども時代の娘たちの言うことはきちんと聞けなかったので、今度は若者になった娘たちの言うことはきちんと尊重しようと決めてるんです。今度こそ頑張りたい。だってタレントのヒロミさんだって、若い時のイメージと今とでは全然違うもん。私だって立派な中年になることを目標にしてもいいかな、と思える今日この頃です。