今どきの『家業』

友達の娘さんが『看護師さん』という進路に向かって頑張っているんです。今は男女共に看護師さんと呼ばれますね。正直、まだとっさには「看護師さん、ちょっとちょっと」とは呼びにくいけれど、この呼び方が定着するといいなあ。話を戻しますが、友人の高校3年生の娘さんが、看護の学校を目指し奮闘中。実は今まで看護の道に進むことはあまり考えていなかったらしく、学校でも語学方面の勉強をしていたらしい。ところが突然の進路変更!しかも理系へ。なかなか大変だと思うけれど、歯を食いしばって入学試験を突破してほしいです。

そうそう、こちらの娘さんのお父さんは消防士さんなんです。
わたし、恥ずかしながら消防士さんのお仕事ってあまり知らなかったんです。火事の時に火を消してくれる人たち、くらいの認識でした。ところがこちらの友人家族とお付き合いするようになり、「昨日、夫がこんな仕事でね」とサラッと話してくれることがびっくりするようなことばかり。個人情報だから多くは語らなかったけれど、危険なことは日常だったり、凄惨な現場に一番に駆けつけることなんて普通のことのようでした。いつもニコニコのんびりしているダンナ様だったから、全然気づかなかった。

消防士のお父さん、命の重みや『はかなさ』をたくさん感じてきたお仕事だと思う。目から入るひどい光景や、防ぐことのできない臭いに、心折れそうになることもたくさんあったのだろうと思います。それでも一生懸命、前を向いて働いているお父さんを見て、娘さんは『命の重さ』を感じることが多かったのではないかな。だからこそ命が大切だと感じられる看護師という職業に就こうと決めたことは、運命であり、必須だったと思う。

職業選択の自由。憲法22条の有名な条文の言葉ですね。昔、バイトの求人誌のCMで「職業選択の自由〜♪あはは〜ん♪」とポップに歌われていたのを覚えてる方もいるかな。自分たちには『選ぶ』という自由があるんだな、と漠然と感じたりもしたもんです。だけど、だけどね、本当に自由なんてあるのかな。日本国民として、もちろん権利もあるし、保障されてるのは間違いないんだけど、やっぱり育ってきた環境や、目で見たもの、感じてきたもので選べる職業って大きくなるにつれて狭まっていくものではないかな、と思うんですよ。

命に関わる仕事は、命を重いと感じる人を見てこなければ大切だとは感じにくい。古くさい言い回しですけど、命に関わる仕事はやっぱり『家業』なんじゃないかとおもいます。消防士のお父さんを見て感じて匂いをかいで、だからこそ見えてきた看護師という仕事への選択。「命を守る」という『家業』を継いでいく。

ハスクバーナのチェーンソー。木を切る時に使う道具です。あのオレンジ色がトレードマークですよね。消防士さんと同じオレンジ色だな、と思っていたら、理由が一緒。ハスクバーナは森林で木を切ってる職人さんが、猟師さんに間違って撃たれないよう、あの目立つオレンジ色なのだそうです。消防士さんも目立つようにあのオレンジ色だって聞いたことあります。そういえば、実際に消防士さんもチェーンソー使ってますよね。救助するのに倒れた木や建物の柱を切ったりしてるのを映像で見たこと、ありますよ!

『家業』として、命の重みを受け継いでいくような職業の選択。このような環境で育ってきた娘さんは、きっと立派な看護婦さんになると思います。何年もかけて積み上げてきた感覚というものは絶対にゆるがないし、何かに迷ったり、疲れたりしても「命は尊いものだ」というコアはブレていかないのかもしれないね。ここに知識と経験が積み重なっていったら安定感しかない。将来が楽しみです。まだまだ夢の途中で大変だろうけど、頑張ってほしいです。応援してます。フレーフレー!

私も50手前で身体の調子が悪くなってゆくお年頃。定期検診でポリープが見つかったりするのもあるあるになってきた。血液検査の数値にも一喜一憂したり。そう、病気になったときに信頼できる看護師さんがいたら心強いのよー。だからね、病気になったらよろしくね。あなたのような「命を尊い」という感覚が、体に染み付いてる看護師さんにそばにいて欲しい。でもね、看護師さんばかりに苦労を押し付けるつもりはありません。やっぱりできるだけ病気にならないように、運動して筋肉つけて、食事も気をつけて、健康に気を配って生活していきます。私にできる応援はこんなことしかないのでね。 

謝罪って、なんだろう

「心の底から詫びてください」。あの有名なドラマ『半沢直樹』の超有名なセリフ。あのドラマでスカッとした人もたくさんいたかもしれません。実際のところ自分に対して謝ってもらうことなんて、滅多にないわけで、ドラマだからこそ成立することがわかっているからエンタメとして楽しかったのかもしれませんね。

ここでふと思う。あのー、人から謝ってもらってスッキリしたことってありますか?そもそも謝ってもらうなんてシチュエーションがほぼほぼないのですが、たとえ謝ってもらえたとしても絶対に「よーし、やったあ」なんて思えないだろうな、と。しかも、謝って欲しいと思っている相手から、謝ってもらうことなんて絶対にない。かとおもうと、なんともない時に「ねえねえ、あの時はごめんね」なんて言われることもある。えっ、何かあったっけ?

謝る方、謝られる方、双方が同じテンションなんてことないですよね。催促されて心の底から詫びることなんてないし、心の底から許すこともない。お母さんが子どもに「ほら、ごめんなさいって言いなさい‼︎」とキリキリと怒ってて、子どもはブスッとしながら「はいはい、ごめんなさい」って言う。あれ、ですよ、あれ。しかも子どもが謝ってるのに「なに、その態度は⁉︎そんなのは謝ったうちに入りません‼︎」と、めちゃくちゃ理不尽。THE理不尽。じゃあ、どうすればいいのさ、という子どもたちの声が世界中から聞こえてくるよ〜。

若いときはとにかく謝ってもらいたがってた私。いや、若いときじゃない。ほんのちょっと前まで『謝ってもらいたガール』でした。わたし、夫と一緒に働いてます。夫はウエダキコーの社長であり私のオットさん。プライベートとお仕事を分けることも難しくて、夫婦であることの甘えもある。となると、やっぱり感情が隠せないし、むしろ感情を出してもいいとすら思ってしまう。お互いがお互いを思いやることができないばかりか、「何で私の気持ちがわからないのか」と怒りに変わる。でもずっと一緒にいなければならないので、怒りの表現方法がどーしようもないクズなものに。私たち夫婦が選んだ最悪の怒りの表現、それは『無視』です。一番陰険で、一番精神的にやられる『無視』。ほらほら、私は怒っているよ〜、気づけ〜、反省しろ〜、謝れ〜。と、心で叫びながら無視を続ける。

こんなの反省するわけないですよ。そもそも反省するも何も、何で相手が怒ってるのかわかんないんだもん。謝ったら負けちゃう感も出ちゃうし、もー、どこに向かっているのかさえもわからん。それでも「相手が折れるまで許さない」と強情な夫婦ですから。ははは。でもね、こんなことを40才過ぎても何度も繰り返していて、私、ふと思いました。「そもそも謝ってもらえたとて、スッキリするもんなんだろうか」と。いや、スッキリするわけない。「ごめんね、君の言う通りだよ。ボクは心の底から反省したよ」なんてセリフはファンタジーです。夢の世界です。ありえません。逆もです。「ごめんなさい、あなたの言う通りだったわ。私が浅はかでした」なんて絶対に言うわけありません。ドラマの台本みたい。

で、くだらないドラマはやめるべく、怒りの感情を無視で表現するのをやめませんか?疲れます。と夫に伝えると、夫も疲れていたのか「うん、やめる」と。そもそも夫の感情をコントロールするなんて無理だし、失礼ですよ。気づかって欲しいときはこちらが気づかわないとですよね。うん。それでも余裕がなくなって言い方がキツくなることばかりだけれど、余裕あるときは「ちょっとごめんね、お願いがあるのだけれど」などと優しく話すことが大切だよね。うー、できるかな。

職人さん必須の充電式マルチツール。1台で何でもこなすとっても便利な工具です。先端の替刃を交換するだけで、木材や金属を切ったり、はがしたり、磨いたりできるんです。この便利な工具、胸を張れるようなお仕事ぶりなのに、たたずまいが謙虚なんですよね。なんかちょっと下を向いて「すいません」って謝ってるみたいに見えるんです。マルチツールを使用するときは倒して使うので、気づかないかもしれませんが、立てておいてある姿は「すいません」にしか見えないんです。

謝って欲しいこともあるけれど、こちらが謝りたいこともたくさんあるじゃないですか。でも、そんなタイミングがなかったり、謝らせてもらえないこともありますよね。自分がすっきりしたいから謝りたいのに、そんな時期は訪れないことも謝るチャンスが与えられないことも。謝れないときは落ち込みますが、自分のやらかしてしまった罪を反省しろってことなんだろうと。うん、謝るって本当に難しいものだな、とマルチツールを見てしみじみ思う、今日この頃です。